文章を書くということ。
文章を書くということが、
得意だという人が羨ましい。
文章ってどんな人が書くんだろう。
小学3年生の時、
夏休みの宿題の読書感想文に
アンネ・フランクのことを書いた。
当時から日記を書いていた私にとって
アンネ・フランクには共通認識というか、
他人とは思えない、勝手な思い入れがあった。
すると私の読書感想文は、どうやら優秀作品賞の候補に上がったらしい。
でも、題材にしたのは『アンネの日記』ではなくて、
『まんがで読む アンネ・フランク』だった。
それで結局却下されてしまった。
今思えば担任の先生もとても困ったのではないかと思う。
母親も、担任の先生から読んだ本を持ってきて、と言われた時、
読んでいないアンネの本を持って行かせるか迷っていたが、
いや、子供に嘘をつかせるのは良くない、と
私にまんがの方を持って行かせる決断をしていたのを覚えている。
それでも私は誇らしげに、
急にわかった子になったつもりで、
担任の先生とやり取りをした。
だって、アンネ・フランクの人生に感動して文章にしたというのは、本当なんだもの。
それから3年が立ち、
卒業文集に載せる文章を書くことになった。
何について書けばいいかなぁ。
無難に、林間学校のことにしよう、と思った。
林間学校で作ったカレーライスのことを書いた。
私は別に、カレーライスが好きなわけでも、
林間学校がものすごく楽しかったわけでもなかった。
でもその文章の中には、「一番の思い出は、間違いなく林間学校でのカレーライス作りです。」、そして締めくくりは、
「カレーライスが私の大好物の一つに加わりました。」。
母親も加勢してそれっぽい文ができて、
文集は完成した。
この文章は今読んでも読みたくなくて、
きっと読む人も面白くなかったに違いない。
文章は、書かなくてもいいけど、
書かないと全て砂のように風に吹かれて、
最後は何もなくなってしまう。
文章があるからこそ、残っていくものが
たくさんある。
思い出もそう。
歴史もそう。
誰かに認められたくて書く文章は、
面白くない。
面白い文章は
ほとばしる想いや、衝動、
伝えたい内容が詰まってる。
表現もそう。
認めてくれなくていい。
ただ、私が表現したいだけ。
それがきっと、芸術なんだと思うし。
理由なんてない。
理屈なんてない。
人間がこの世に生まれてきたように、
ただ、あるべくしてある。
私が生まれてきた理由を
自分で意味づけるための行為かもしれない。
でもそれも本能。
それじゃ、おやすみ。
もろ。